1人ひとりが愛情に包まれた環境で安心して学び、遊び、一人の人間としてすくすく育っていくことを目指しております。
自分の気持ちを上手に表現することを日に日に増やしていきます。
友達や保育者との関わりの中で幼稚園の魅力を発見していきます。
友達、保育者との信頼関係をつくり始めます。
遊びの中から自主性や社会性を学んでいます。
音楽教育を通して旋律やハーモニーやリズムを正確に聞き分けるだけでなく、理解力、身体と感情の人間に必要な調和とバランスを大切にして、生涯音楽と楽しむことのできる人を育てたいと願っています。
学校法人 福岡音楽学院
理事長
安部 直樹
福岡音楽学院附属幼稚園は、昨年、輝かしい創立60周年を迎えました。この長い歴史の中で、数多くの卒園生が本園で豊かな幼児期を過ごし、それぞれの未来へ羽ばたいていきました。皆様から伺う思い出話に触れるたび、本園が培ってきた華やかな歴史と気高い伝統の重みを改めて感じ、身が引き締まる思いでおります。
本園が長きにわたり大切にしてきた「音楽による幼児教育」は、単に音感を育むだけでなく、子どもたちの集中力、感性、創造性を育む最良の方法であると確信しております。これらの力は、これからの小学校、中学校、高等学校、さらには大学での学びの過程において、必ずや大きな効果を発揮し、子どもたちの可能性を広げる礎となるでしょう。
幼児教育は、人間形成の根幹をなすものであり、子どもたちにとって初めての集団生活の場となります。私たちは、一人ひとりの子どもに深く寄り添い、彼らが秘めている個性や才能を発掘し、穏やかに育んでいくことに全力を尽くします。多様性が尊重される現代において、子どもたちが自ら考え、表現し、他者と協調しながら成長していくための豊かな土壌を提供することが、私たちの使命です。
お子様の成長は、ご家庭と幼稚園が手を携えることで、より確かなものとなります。保護者の皆様との強い連携と温かいご支援を心よりお願い申し上げます。
本園は、これからも子どもたちの未来を共に育むパートナーとして、質の高い幼児教育を提供してまいります。
学校法人 福岡音楽学院附属幼稚園
園長
新地 文彦
本園は1964年の開園以来、創立者である佐藤(末永)博子先生の「人格形成を基盤とした音楽教育の場」という揺るぎない理念を受け継いでまいりました。当時、「一般保育と同時に音楽専門の教師達による音感教育を取り入れた全国に類のない音楽幼稚園」としてその先見性を示されたように、私たちは子どもたちの豊かな感性を育む質の高い音楽教育を実践してまいりました。
幼稚園教育要領が示す「生涯にわたる人格形成の基礎を培う」という理念は、まさに本園が目指す教育の核です。創立者の深い洞察力と先見性により、芸術教育を人格形成の土壌と捉え、子どもたちが未来を力強く切り拓くための豊かな心を育むことに注力してまいりました。
現代社会は、子どもたちを取り巻く環境に多様な変化をもたらしています。子育て支援のあり方や、一人ひとりの個性を尊重した保育、そして小学校以降の学びへと円滑につながるカリキュラムの構築は、今日の幼稚園教育に求められる重要な課題です。
本園は、これまで培ってきた質の高い音楽教育を大切に守りながら、これらの現代的な課題に真摯に向き合ってまいります。私たちは、かけがえのない命を尊び、互いを思いやる心を育む温かい保育を実践しています。
これは、豊かな感性を育む音楽教育と相まって、子どもたちの好奇心や探求心を育み、創造性、協調性、そして困難に立ち向かうレジリエンス(心の回復力)を養うことで、変化の激しい未来を生き抜く力を育んでいく幼稚園づくりを目指してまいります。
福岡音楽学院附属幼稚園は、未来を担う子どもたちの成長を、ご家庭と共に支えていくことをお約束いたします。皆様のお子様との出会いを心よりお待ちしております。
1 福岡音楽学院附属幼稚園について
福岡音楽学院附属幼稚園は専門の教師による音楽教育を幼児教育のカリキュラムの中に織り込んだユニークな幼稚園です。創立者は戦後福岡におけるピアニストの草分けとして活躍した末永博子先生(1921~2014)です。
末永博子先生は常々演奏技術だけでは、真の音楽家は育たない、音感教育も含めた総合教育を幼児期から行わなければならないと考え、東京音楽学校(現在の東京藝術大学)時代の恩師でもあるピアニスト井口基成氏が創立した桐朋学園の前身「ピアノのための音楽教室」をモデルに1957年に福岡音楽学校「子どものための音楽教室」(現在の福岡音楽学院)を開校しましたが、その後1964年に幼稚園を開設して幼児の人格形成の上に立った音楽教育の充実を目指しました。
当園の歩みの概略は以下の通りです。
2 創立者末永博子先生について
末永(佐藤)博子先生は1921年福岡市に生まれました。幼少期を医師であった父の赴任先鹿児島市で過ごし、市内のキリスト教の幼稚園にて讃美歌を通して音楽に親しむようになりました。
小学校4年のとき福岡市に戻り、大名小学校、福岡女学院中学(旧制)を経て東京音楽学校(現在の東京藝術大学)にて井口基成氏のもとでピアノを学ばれ、卒業後は帰省し、敗戦後まもなく福岡市でピアノ・リサイタルを開催するなど、演奏家としての歩みを始めるとともに、ピアノの教師として福岡女学院、長崎活水短大、西南学院大学短期大学部児童教育学科などで講師をつとめました。また、1954年には渡仏し、井口基成氏の師でもある名ピアニストイーヴ・ナットに約1年半師事しています。
1957年7月、先生は福岡市中央区薬院に福岡音楽学校「子供のための音楽教室」(64年に福岡音楽学院に改組)を設立して院長となりました。1958年3月には日本フルハーモニー交響楽団と協演、同年9月にはアメリカ国務省の招聘により渡米、1962年11月にはパートナーである末永直行氏とともに西日本文化賞を受賞、その贈呈式典では来福していたピアニストの原智恵子が駆け付けて受賞を祝福しました。(西日本新聞)1963年、火事のため福岡音楽学校の薬院の教室が全焼し、同校は福岡市南区平和に移転しましたが、1964年4月には附属幼稚園を併設して園長に就任しました。また、1970年4月には福岡女子短期大学音楽科の教授(97年まで)に就任し、以降、教育活動の傍らさまざまな演奏活動を行ない、1977年には第2回福岡市文化賞を受賞、1983年にはフランス政府より芸術文化功労勲章シュバリエを授与され、1987年7月からは日本ショパン協会九州支部長、1997年7月からは日本ショパン協会理事に就任、1998年には地域文化功労者として文部大臣より表彰されました。
1970年代以降の主な演奏活動としては、九州交響楽団の巡回公演(福岡・柳川・長崎・佐賀、1974年)、西ドイツのヴェルテンベルク室内管弦楽団との協演(1979年)、タチアナ・ニコライエワとのジョイントリサイタル(1980年)、エフゲニー・マリーニンとのデュオリサイタル(1981年)、日本ショパン協会主催による東京カザルスホールでのリサイタル(1991年)、ピアノと共に50周年演奏会「室内楽の夕べ」(1999年)、傘寿記念コンサート(2001年)などがあります。
2014年3月2日多臓器不全により逝去。享年92歳。同年5月31日には末永文化センターにて偲ぶ会が行われました。
参考文献「古稀を迎えて」末永博子先生音楽活動50周年記念誌
音楽を生活の一部とすることで子どもたちの豊かな感受性を育み、「音楽が一生の心の友」になることを願っています。
住所 | 〒815-0071 福岡市南区平和1丁目23-29 |
---|---|
アクセス | 【西鉄電車】西鉄平尾駅徒歩10分 |